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SF小説『ソラリス』

沼野充義訳版『ソラリス』

スタニスワフ・レムのSF小説『ソラリス』は、ふたつの映画によってよく知られている。ひとつはアンドレイ・タルコフスキーが監督した1972年『惑星ソラリス』、もうひとつはジョージ・クルーニーが主演した2002年の『ソラリス』。不思議な惑星ソラリスで幻想的な体験をするという、ごく簡略化すればそういう物語だ。

今回、ハヤカワ文庫の沼野充義訳版『ソラリス』を読んでみた。
ソラリスに赴いた心理学者である主人公は亡くなった妻と再会する。ソラリスが主人公の記憶から実体化したコミュニーケーションできるコピーされた妻。妻の死に関する責任が重くのしかかったままの主人公にとってはホラーでしかない。愛した人と再開するファンタジーとは言えない。無人ロケットに乗せ宇宙に捨て去ってもまた現れる。
まさに映画で映像になりやすいところだけど、この小説のテーマはこういう部分ではない。

緑色の海

この沼野充義訳版のおもしろい点は、解説がなんと32ページほどあること。それだけこの物語が難解であることを示しているかと思う。
解説のなかにはスタニスワフ・レム自らの解説も含まれているが、上の映画については両作品とも不満があったらしい。難解な小説なのでそれぞれの映画が表現したものは違うよということだろう。下記はその解説で作者自ら書いた部分からの抜粋。

「未知なるもの」との出会いによって、人は、認識の問題、哲学の問題、心理的問題、倫理的問題などを抱えこむことになるはずだ。これらの問題を力で、たとえば、未知の星を爆破するというようなやり方で解決しようとしても、何ら得るところはないだろう。それでは、たんにその現象を消してしまおうというだけで、一生懸命その現象を理解する努力をしたことにはならない。こうした「未知なるもの」に遭遇したら、それをなんとか理解しようとするべきなのだ。すぐにはうまくいかないかもしれないし、多大の労力や犠性が必要となり、誤解することもあれば、時には打撃を被ることもあるかもしれない。でも、それはもう別の問題である。

この小説の大きなテーマはここにあると思う。
今まさに起こっている戦争含め、身近な人間関係含め、現代社会にも通じるようなことであろう。

受け入れ難いことや異質な人に会ったら、拒絶したり攻撃したりする以前に、理解しようと努力すべき。

この小説が難解なSFである理由もここにある。
人気があるSF映画を思い浮かべて欲しい。戦争が起こる『スターウォーズ』『三体』、友好的なファーストコンタクト『E.T.』『未知との遭遇』。概ねどちらかのサイドに関するストーリーではなかろうか。
難解なSF映画の代表は『2001年宇宙の旅』じゃないかと思うが、いずれのストーリーでもない。『ソラリス』は似ているストーリーだと感じた。人間の記憶から人以外の無機物まで実物を作り出してしまうソラリスという海の惑星。“モノリス”と同じように人類のレベルを遥かに超えた謎の存在が宇宙には存在し、何らかの役割を担っている。

さて最後に翻訳本に関する補足。
今回読んだのは沼野充義訳版『ソラリス』だった。スタニスワフ・レムはポーランド人で、原作はポーランド語らしくそこから翻訳されたのが沼野充義約版。 もうひとつは飯田規和訳版『ソラリスの陽のもとに』。こちらは1965年に単行本化されたものだが、ロシア語版からの翻訳らしく、ロシア語版はその当時のソビエトの関係もあってポーランド語版から欠落した部分があるとのこと。
いずれにせよ両方の翻訳を読んでみたら興味深いだろうし、両方の映画を見直して深く考えてみたい物語である。

沼野充義訳版『ソラリス』飯田規和訳版『ソラリスの陽のもとに』
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